壮大なタイトルになってしまっていますが、明らかに一般化不能な命題だと思いますので、ここでは不可能への挑戦を行うことはせず、単に私の場合の一例を挙げるに止めたいと思います。
私の場合は、我ながら極めて論理的な判断をしたと思います。これは判断が理知的だったかとか適切だったかどうかという意味ではなく(神様以外、判断が適切だったかどうかなど誰にもわからないと思いますので)、働き続けることのメリットとデメリットを天秤にかけてどちらが自分にとって大きいかという論理で判断したという、ただただそれだけの意味です。
メリットの方は、働き続けることによる金銭的なメリットや大きな企業体で達成する仕事での働きがいといった気持ち的なメリットで、デメリットの方はそれにより奪われる時間や労力、その他精神的な負担といったものになります。 昔から、雇われ人として時間と労力を提供する形での労働を定年まで続けることを自明のこととしては考えておらず、若いうちから資産を働かせるべく気づいたら投資の世界に入っていました。結局、物理的にはどこかで人的資産からのリターンよりも金融資産からのリターンが上回ったりしたら、あるいはそうでなくても、平均余命や安全を見た余命から考えて将来の生活に対する十分な資金が準備できたと判断できたらその時点で、自分としてはいつでも早期リタイア適齢期だと思います。
ここで、早期リタイア可能かどうかはあくまで確率の問題であって、どこまで行っても、後年にあの早期リタイアは失敗だった(もっと長く働くべきだった)ということになる可能性はゼロにはできないと考えています。なので、この判断はあくまでも将来の失敗につながる可能性が当人が納得出来る程度に小さくなって、その判断に自身で納得ができたというだけのことです。それはあたかも、今日車にひかれて死ぬリスクがあるが、買いたいものがあるので外出するとか、今日飛行機に乗ったら落ちて死ぬかもしれないけれど、海外旅行したいので出発するといった行動上の判断を天秤にかける行為と割と同じだと思います。この例ではほぼすべての人が同じ判断をすると思いますが、早期リタイアの場合の判断は極めて個人的で、人が違えば状況が同じでも判断の結果は180度変わりうると思います。
この判断を行う上で改めて思い知ったのは、資産が増えれば増えるほど資産増加がもたらす効用が減ってくるという、いかにも経済学的な話です。私は特に贅沢をすることにあまり意味を感じない方で、早期リタイアできる資産水準を大幅に上回る金融資産を構築して将来ずっと贅沢したいという欲望は持てませんでした。なので、これくらいで早期リタイアしても大体大丈夫だろうという資産に達した以降、継続して働くことによる資産増加のメリットを急速に感じなくなりました。そして、これからも継続的に働くことにより時間と労力、精神力等がこれからも会社にずっと奪われ続けるというデメリットの方をずっと強く感じるようになっていったのです。
そんな心持ちだったので、仕事上のキリの良いタイミングで、「ああ、ここだな」という直感のようなものがあり、そこでスパッと辞めることにしたわけです。我ながらずいぶんとあっさりしたものです。
なので、仕事を辞めてどうしてもやってみたいことがあったわけでもなく、仕事をすることがどうしても嫌になったりといった強力な理由に突き動かされて強い決意で行ったものでもなく(通勤時間の長さとロスはちょっと許せませんが)、多分、早期リタイアの事例としてはどちらかというと少数派に属するのではないかと感じています。
こんな感じですので、個人的な今後の興味は、自身が果たして、世間的な通常の選択肢を外れた生活に満足して継続できるのかどうかにあります。このブログの行く末は自身にも全く見当がついておりませんが、「会社を辞めたら自分ならどうなってしまうだろう?」とか、「暇に耐えられるだろうか?」といった疑問や不安は早期リタイアを考えてみた方々が直面する割と一般的なものだと思いますので、このような疑問や不安に関してはもしかすると当ブログが貴重な一事例となるかもしれません。こんな事例発信も、世の中のどこかのどなたかの役に立ったり参考になったりするかもしれませんので、当ブログの運営も含め、早期リタイアを楽しんでいこうと思います。
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