別エントリーで何度も触れてきた通り、私は株式市場でバフェット式の集中投資、安全域を確保したバリュー投資によって資産を構築し、早期リタイアを実現した者です。
では、その出自から、現代投資理論に基づく分散投資を否定しているかと言えば、全くそんなことはありません。それどころか、バフェット式投資でまとまった資産を構築した後は、まさにこの現代投資理論に基づく分散投資の考え方に基づき、将来インフレになろうがデフレになろうが、世界のどの地域が覇権を得ようが、株式が上昇しようが債権が上昇しようが、キャッシュが唯一の安全な場所になろうが、どんな将来の事態が起こってもそれなりにやっていけそうな分散ポートフォリオを構築し維持していくことが、個人的な投資に関する主要目標になっています。
これは果たしておかしなことでしょうか?個人的には全くおかしなことだと考えていません。
バフェット式の集中投資と現代投資理論に基づく分散投資は相反する、対立する概念、考え方では無く、両立する概念であると考えているのです。だから、場面場面や自身の状況に応じて、より適した方の手法を用いて自身の投資行動を決定、遂行しているのです。
ですから、このエントリーでは、なぜ私がバフェット式の集中投資と現代投資理論に基づく分散投資は相反する、対立する概念、考え方と捉えていないのかについて書いてみようと思います。
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この話をまたもや野球の例で考えてみます。
野球について一定以上の知識がある方の場合、プロ野球においては3割打者、つまり10回打席に立ったら3回以上ヒットが打てる打者は、数少ない名バッターであることはよくご存知だと思います。
4割など通常は夢のまた夢であって、イチローのような超のつく天才バッターが生涯かけて1、2シーズンで実現できるか否かの偉業になります。これは投資で言うところの10年、20年のファンド投資でファンドマネージャーがベンチマークに打ち勝つと言うレベルに相当する偉業だと思います。
このような状況で、あるプロ野球のスラッガーが現れて、「私なら十中八九の確率で確実に柵越えホームランを打てる」と言い始めたらどう思うでしょうか?「天才イチローであったとしても、10回中3回や4回くらいしかヒットが打てないのに、そんなことはありえない!」とお思いでしょうか?
早合点は禁物です。これには条件があります。「もし、自身の好きなうちごろのスピードと球種の、自分の大好きで得意なコースの球が来るまで延々と待ち続けることが許されるなら」と言う条件付きの話です。プロ野球選手のスラッガーなら、練習やキャンプで軽々と何度もポンポンと柵越えのホームランを打っている姿を目にすることがあるかと思います。自分の確実にホームランにすることができる甘い球が来るまでいつまででも待つことができて、それ以外の球は決して振らなくて良いのならば、ホームランの確率は3割4割どころではなく、一流のプロ野球選手ならば下手したら9割や10割に近いかもしれません。
でもこれはもはや野球ではありません。実際の野球というゲームでは、3球ストライクを取られたらそれでアウトになってしまって打席に立ち続けることはできません。自分の好きなうちごろの球だけ打って良いなら100発100中に近い確率でホームランにできるスラッガーも、実際のシーズンに入ると当然のことながら3割打者になるのも至難の技です。
この例えが、バフェット式の集中投資と現代投資理論に基づく分散投資の違いを如実に表現しています。この例えと同じく、バフェット式の集中投資を行う者は、現代投資理論に基づく分散投資を行う者と同じルールの競技はしていません。上の野球のスラッガーの例と同じく、自分がホームランを打てる得意の球が来るまで何球でも、何百球でも待ち、それが来ないならば決して1球たりともスイングしないのが、バフェット式集中投資を行う者の行動原理になります。これは現代投資理論に基づく分散投資を行なっている者から見れば同じ投資行動とは全然思えないはずです。
バフェット式集中投資を成功させる能力とノウハウを持つ者も、例えば株式投資のファンドマネージャー職のように、有力な投資案件もないのに絶えず運用、投資を行うことを強制され、魅力的な投資案件もないのに何百もの投資ポジションを継続的に持ち続けることを強要されたら、運用パフォーマンスは劇的に下がり、その結果、高確率でベンチマーク以下の運用パフォーマンスになってしまうだろうことは請け合いです。
こんな行動をしたら、数学的に言う大数の法則に支配され、それらの投資行動をするファンドマネージャーの運用成績はベンチマークからコストを引いた、相対的マイナスのパフォーマンスに収束していくのは、もう科学的、統計的な見地からは火を見るより明らかなことなのです。
バフェット式集中投資は、大数の法則に支配されない、自分にとって生涯にもしかしたら数度しか訪れないかもしれない、レアな機会を利用する投資方法です。統計学の立場から言えば、同質な試行を数多く行えば、大数の法則によりその結果は母集団の持つ確率に収束していくと言うのが、現代投資理論で使われる数学的論理であって、その論理は効率的市場仮説、すなわち市場は効率的なので、有利な投資案件を探す努力は無力であるという仮説とともに用いられています。ここからは私の経験に基づく意見になりますが、市場には実際は厳密な効率的市場仮説は成り立っておらず、本当に美味しい投資機会はゴロゴロ転がっていると、自身の経験を経た上で確実に言えます。ただ、その機会が美味しいことは、適切な知識やバックグラウンドに基づく見る目を持ち、なおかつその目でその機会を見極めたいと情熱を持って、見据え、調べ、判断するものにしか見えないのです。
ですから、限られた能力しかない個人でも、その生涯に何百、何千以上も出会う投資アイディアの中から自身で見抜ける数少ない本当に自信がもてるレアで美味しい投資案件のみをしっかり見極めてそれだけに集中投資するといった投資行動をとった場合に、果たしてどんな結果になるのかと言う命題は、もはや数学や学問が処理できる案件ではないのです。学問の世界では、何百、何千の投資アイディアの成功確率と期待リターンがいつも一緒であるという実際は成り立っていない前提を想定し、かつその投資結果のリターンが母集団のリターンに収束するほど多くの試行を行うことを想定しますが、バフェット式の集中投資ではその両者が成り立っていません。投資の世界でもその他の世界と同じく、現実は学問の世界が美しい理論を構築するために想定する単純化された前提よりもずっと複雑なのです。
なので、自身の優位性を知り、自分の強みを活かせる、世界の数多くの分野の中からわずかな分野を選び、その中でも降って湧いて来る無数の投資案件の中から、自身が120%の自信を持って成功を確信できるごくごく一部の案件に限って投資を実行するバフェット式の集中投資は、自身の経験からも有効な投資方法であると断言できます。重要なのは、自身の優位性を知り、その範囲から決して1歩も出ることなく、じっと魅力的な投資案件が来るまで待ち続け、それが本当にレアで魅力的な投資案件であるのかどうかを全能力を使って見抜くことに全精力をつぎ込むことであり、それが成功のためには必須条件となる投資方法なのです。
以上のように、互いの投資アプローチが他方を否定する関係にはないのですから、バフェット式の集中投資を行うからといって、現代投資理論に基づく分散投資を否定する理由にはなりませんし、逆もまた然りです。というわけで、投資の目的が自身の資産を何倍にも増やして早期リタイアを実現したいというものならば、バフェット式の集中投資の機会を狙いますが、いったん早期リタイアを実行できる資産を構築し終えたら、もう資産を何倍にもする必要はさらさらないのですから、現代投資理論に基づく分散投資で自身の資産の購買力の維持やインフレ追随等を目指すのが、自分にとっては至極自然な姿になるわけです。
ということで、私にとってはバフェット式の集中投資と現代投資理論に基づく分散投資は相反する、対立する概念、考え方ではなく、両方とも自身の人生にとって有用な考え方であるものと判断して、それを実践し、利用し続けています。
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